マザー・テレサと、読書感想文と、私

誰にとっても、小学生の頃の忘れられない思い出の一つや二つはあるだろう。
私にとって、マザー・テレサの伝記で書いた読書感想文というのはその一つだった。
それは、初めは小学校三年生の夏休みの宿題で書いたものであった。
担任の先生にとても気に入られ、複数のコンクールに応募することとなった。

夏休みの宿題では「20文字×20行の原稿用紙1枚以上」というものだったので、特に作文が好きでも嫌いでもなかった私は2枚目の前半までの文章を書いたと思う。
しかし、先生が提案してくれたコンクールに応募するためには、それよりも多く書かなければいけなかった。
そのため、推敲をしつつ、文章の量を増やすということが必要だった。
学校で賞を獲ると親が喜んでくれるということを知っていた私は、帰って早速母親にこのことを報告した。
そして、母親の監督のもとで、原稿用紙1枚分を増やした次の作文を完成させた。

いい人になりたいな

 私は、読書カードにマザー・テレサと書いてあるのを見て、どんな人だろうと思い、この本を読みました。私は、この本を読んで、マザーテレサはやさしくていい人だと思いました。
 なぜかというと、亡くなってしまった赤ちゃんから離れられなかったからです。この赤ちゃんは、マザーが造った「孤児の家」に来た赤ちゃんで、一生健命育てたけれど、来た三日後に亡くなってしまいました。カルカッタという町には、やせている子や、ごみ箱に捨てられてしまう子がいることに、おどろきました。ふつうの人は、しにそうな子は見すてるけれど、マザーは、しんでしまった子にも愛じょうをもちつづけていられることがすごいと思いました。
 マザーは、やさしいだけじゃなくて、まずしい人たちのためにいろいろ行動したり、アイデアを出したりする人でした。カルカッタの空こうでは、きゅうゆのときに、手をつけていないき内食がでてしまいます。これを、〈孤児の家〉にはらいさげてもらうようにしました。わたしは、きゅう食ののこりを思いうかべました。まずしい人たちのことを考えたら、もったいないと思いました。これからは、きゅう食をのこさないで食べたいです。
 それから、マザーが、カルカッタでさとうが手に入れにくいときがあって、それを知ったヒンドゥー教の四才の男の子が、三日間さとうにもふれないで、小さなビンにためて、
「子どもたちにあげたい。」
と言って、そのビンをマザーにわたしました。マザーは、少しのさとうだけれど、大きな大きな愛がひめられていると言っていました。わたしの妹も四才です。そんなに小さいのに、本当の愛を知っていてすごいと思いました。わたしにも、何かできることがあると思いました。それをさがしたいと思います。
 マザー・テレサがなくなってしまった時に、世界中から多くの人々があつまって、マザーがそんなに大切にされていたことをはじめて知りました。
 わたしは、マザー・テレサみたいにすごい人にはなれないけど、人にやさしくしてあげられる人になりたいです。


推敲をしたという割には、「私」と「わたし」がいたり、「一生健命」という保険会社のような誤字をしていたり、「孤児の家」を囲むかっこの形が違ったり、マザー・テレサの呼び方が違ったりと色々とツッコミどころがある。
案の定、全国のコンクールにはかすりもしなかったが、それでも応募したうちの一つでは入賞を果たした。
私もこの作文のことを思い出し、読み返した時には少し泣いた。担任の先生がこれを気に入った理由も理解することができた。
良いところを理解する一方で、この作文がどうして忘れられない思い出なのかということも身に沁みた。
だから、改めてこの感想文のもとになった本を読み、当時の作文を振り返りながら、今私が書くべき読書感想文をこれからしたためることにする。

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読んだ本は、くもん出版の「マザー・テレサ:かぎりない愛の奉仕」。著者は沖守弘氏。
まず、私は「マザー・テレサの伝記を読んだ」という記憶を正すことになった。
本書は、報道写真家である沖守弘氏による写真を交えたエッセイだった。
もちろん、「個人の生涯について記録した本」という観点から言えば伝記であるということには違いない。
どんな人物の伝記でも、著者の個性というのは出るものなのかもしれない。
しかし、この本には、著者がなぜ報道写真家になったのかという話から、どのようにしてマザー・テレサと出会ったのかという話、マザー・テレサが亡くなった後に写真展を開催する話まで記されている。
つまり、この本の主人公は沖守弘でもあり、〝マザー・テレサの伝記〟であると同時に、マザー・テレサという人物に魅せられ、観測し続けた〝著者の自伝〟でもある、と言い換えることができる。
小学三年生の私にはこの構造は難しく、著者の存在については触れることができなかった。


作文に出てくる「読書カード」とは、読んだ本を記録する紙のことだ。
表紙には、国語の教科書に載っている推薦図書や、学校の先生の推薦図書が印刷されており、「一年のうちに何冊かは読むように」とされていた。
マザー・テレサについての本は、図書室に何種類かあり、本書以外にも読んだ記憶がある。
しかし、今なお記憶に強く残っているのは本書である。本書の構造を言語で理解することができなくても、沖守弘という人物の存在がどこかで引っかかっていたのだろう。

髪を布で隠した笑顔のおばあちゃん。
普段は見かけないそのスタイルも、当時の私を惹きつける要素だった。
親は昔の人、祖父母は大昔の人、それ以前に生まれた人や歴史に残るような人物といえば、ティラノサウルスの時代とも区別のつかない昔の人、というような時間感覚の小学生には、カラー写真の彼女が本物のマザー・テレサであるということには何となくピンと来なかった。
本書を読みなおして、オイルショックを契機に世界情勢に興味を持った著者、という描写で「これは遠い昔の話じゃないぞ」という事実がこの身に迫ることになった。
実に十数年ぶりに認識が更新された。
そして、本の至るところに載せられている写真も、より真実味を持って私に訴えかけてくるのであった。
現実を取材した写真に「真実味」というのもおかしな話なのだが、その写真がただマザー・テレサの活動を記録するだけではなく、著者が残さなければならないと感じたメッセージを多少なりとも感じ取ることができるようになった気がするのだ。


作文の始めに出てくる赤ん坊の話は、本書の始めのほう、いわゆる「掴み」の部分に載っている話だ。
これは、夏休み明けに提出した時点で書いていた文章だったと思う。
しかし、本書の本当の最初に文章に出てきた捨てられた赤ん坊は、マザー・テレサに保護されて無事に元気になった。
さて、亡くなってしまう赤ん坊の話はどこに載っているのか?これは、推敲をする際に母親に聞かれた部分でもある。
答えは、載っていた写真の脚注だ。ゆりかごで眠る赤ん坊と、世話をしていた人のものと思われる手、そして医者の署名入りの文書が写っている。

3日めに亡くなった赤ん坊。世話を続けたシスターがはなれられないでいた。

なんと、当時の私もちゃんと写真を見て何かを感じ取ったらしかった。離れられずにいたのは、この写真ではマザー・テレサではなかったけれど。
死後にも愛情を持ち続けているというのも、「誰からも愛されずに死ぬより、あたたかい愛情のもとで死ぬほうがいい」という文中の言葉を自分なりに解釈した結果だ。
これを説明すると、じゃあいいんじゃない、と母親も納得してくれた。


初めから書いていたエピソードはもう一つ。砂糖をビンにためた男の子の話だ。
私の作文では分かりにくいと思うので、補足をする。
これは、マザー・テレサが来日した際に語ったエピソードだ。
マザー・テレサキリスト教の人物であり、講演も、主に祈るというキリスト教式のスタイルから始まったそうだ。
その講演で語ったエピソードは二つあり、どちらもキリスト教以外の宗教の人物が食糧を分かち合うという話だ。
キリスト教の根本原理の「隣人愛」、つまり自分を愛するのと同じように他人を愛するということを体現した人物としても知られている。
本書には「本当の愛」がなにか、ということは直接は語られていない。
では、私が書いた「本当の愛」とはどんな概念だったのだろう。
マザー・テレサの名言とされているものに「愛の反対は無関心」というのがあるが、この言葉の代わりに、次の文章が書かれている。

わたしたち人間にとって、もっとも悲しいことは、貧しかったり、病気やおなかをすかして死ぬことではないのです。
ほんとうに悲しいことは、貧しかったり、病気だったりするために、だれからも相手にされないことです。
みんなから捨てられて、自分はこの世には、いらない人間だと思い込むことです。
この世でいちばん悪いことは、そういう人にたいする思いやりや愛がたりないことだと、マザーはかたく信じているのです。

「マザーはかたく信じているのです。」という締めのとおり、これは著者の言葉だ。
もちろん、マザー・テレサはこれに類することを繰り返し口にしているのだと思うし、翻訳の仕方によるのかもしれない。
各々が受け取ったメッセージを要約すると、その言葉に集約されるということだ。
つまり、解釈によって二次的に発生した言葉ということになる。
宗教の違いを越えて隣人を愛するということは、信条によらない人間の苦しみや痛みを知り、喜びを尊重し、寄り添うということだ。
これをうまくかみ砕けなかった当時の私は、これを実行できるような人は本当の愛を知っている人物だ、というように解釈したのだ。


そして、この作文で一番大切な文章は、この段落の「わたしにも、何かできることがあると思いました。それをさがしたいと思います。」だ。
マザー・テレサという人物を知り、行動を起こした人物は本書に多く出てくる。
前述の男の子、赤ん坊に寄り添ったシスター、エトセトラ、そして著者である。
マザー・テレサインフルエンサーであり、周囲の人々は彼女に影響された人なのである。
著者は、古本屋でマザー・テレサについて書かれた本を見つけて感銘を受け、彼女を取材するようになった。
「彼女ひとりを英雄視した伝記はつくらない」という約束を交わし、特別に撮影を許された著者による本書は、読み手にどんな影響を与えるだろうか。
他人のために、自分の砂糖をとっておく。赤ん坊のために、死後もそばに居続ける。では、著者は何のために写真を撮り、この本を書いたのだろうか。
その答えはしっかり私に伝わっていたし、作文は完成していた。我ながら素晴らしい出来だった。


先日、Twitterで「読書感想文は必要ないのではないか」という意見が話題になった。
確かに、コンクールの受賞のために、比較的まとまった感想の中に「貧しい人がいるのだから給食を残してはいけないと思った」という段落を増やすことになったことを考えればそうなのかもしれない。
これ以上何を書けばいいのかわからず途方に暮れ、母親に印象に残っているエピソードを聞かれ、別の紙に箇条書きにした。
それぞれのどこが印象に残っているのかということを聞かれ、それが読書感想文として相応しいかどうかの審議が行われた。
ここで挙げたエピソードには、「松葉杖をついたシスターの話」があった。
二階建ての建物で仕事をしているが、脚が不自由で階段を上れないため、一階で事務を行っているシスターだ。
ある日、二階から悲鳴が聞こえたため、腕の力だけで身体を引き上げて駆け付けた、という話が取り上げられていた。

もしこの話について書いていたならば、一つだけおかしな結論の段落ができずに済んだかもしれなかった。
しかし、作文を一旦書き終わった私は「マザー・テレサの伝記を読んだ読書感想文」の段落を増やさなければいけないと思っていたし、読書感想文は、自分の体験を交えて書かなければいけない、と思っていた。
だから、「松葉杖をついたシスターの話」に対してどんな感想を持つのが正解なのか分からなくなってしまった。
「自分の仕事ではないのに、無理をしてまで助けに行ったのですごい」という感想で正解なのに、私にそんな体験があっただろうか、と考えてしまったために「感想が何もない」ということになってしまったのだ。
この話を読書感想文で取り上げることはなくなり、「残された機内食」と「自分が給食を残してしまうこと」が関連付けられた段落が一つできることになった。
正直自分でも「これでいいのだろうか」とは思っていたのだが、自分なりに考えた感想を「そうじゃないでしょ」「そういう体験はあったか」と言われ続け、自暴自棄になったところにOKが出たのでもうこれでいいや、ということになったのだった。
担任の先生も、文章を増やすのに散々苦労したということを察したのか、特に否定はせずコンクールの書類を書いてくれた。私の読書感想文の苦しい戦いは終わった。

それから、読書感想文という宿題は、多くの人にとってそうであるように、苦痛の宿題としてのしかかってくることになった。
ふさわしい本を読み、正しいテーマを読み取り、書式に従って正しい感想を書く。楽しいはずの読書も、感想文のためだと思うと集中できない。
私の「いい人になりたいな」は読書感想文が苦手だった友達に、親によって半ば勝手に共有され、友達の親御さんからも「素晴らしい」という評価をもらった。
もう一度これを書くべく、毎年のように読み返した。しかし、給食というピースがはまっていないことに気付かないせいで、私はこれ以降読書感想文で賞をもらうことはなかった。
では、読書感想文はやはり苦痛なだけの無駄な宿題なのだろうか?


他人と出会ったとき、人はその他人の中に自分を探そうとする。あるいは、自分が他人を取り入れ、同一の要素を持とうとする。
他人と出会うということは、鏡面に反射する自分を見るということだ。他人を理解するということは、そういうことなのだ。
本書を書いた沖守弘氏も、マザー・テレサの中に自分を見つけようとした。
そして、取材をする間に出会う、マザー・テレサと関わる数多の人々にもまた、自分を見つけていた。
彼は、マザー・テレサに影響を受けた人物でありながら、写真と文章によって他人に影響を与える人物でもある、という位置にいる。
本を読むということは、まず著者に出会い、そして著者を通じて人物やキャラクターと出会うということだ。
自分の映った鏡について文章を書いたら、それは自分についての文章になる、というのが読書感想文の正体である。
これが、感想に実体験を交えるということの意味なのだ。
順序が逆転してしまっては、鏡の自分について書くことができない。つまり、本のテーマを見失ってしまう。
確かにこれを理解するのは難しいのかもしれない。

自分を見つめる、自分について考えるという機会は、学校という場では多くの形で用意されている。
友達と関わること、得意な授業と苦手な授業を見つけること、遠足に行くこと、絵や作文を書くこと。
これらはただ「楽しい」であったり「嫌い」であったりしてもいいし、しっかり意味を享受してもいい。
学校という場は、これがたくさん用意されている、ということが重要なのだ。
自分について考えるということは、意識的でも無意識的でも、自我を持つことに対して有効だ。
そのあらゆる手段について、自分には必要がないものだと、今の私は言うことができない。


わたしにも、何かできることがあると思う。
それは、今の私にとっては、この感想文を書き、自分を発信するということだ。
その時その時にできることを、これからも探し続けていく。